戦国時代の大名・織田信長の重臣の一人で「本能寺の変」を起こしたことで有名な武将・明智光秀。天正3年(1575)から丹波平定に着手し、その後「丹波亀山城」や「福知山城」を築きました。光秀はその地において、氾濫の多かった川の治水工事や、地子銭とよばれた税金を免除したりするなど、善政を行なっています。さらに連歌・詩歌・茶の湯に造詣のあった教養の高い人物としても知られています。



一般的に織田信長を討ったにもかかわらず、三日天下に終わった謀反人のイメージが強い光秀。しかし、治めた土地では治世に長けたことにより、領民から慕われ、光秀を奉る神社が建てられるなど、イメージとは異なる側面もあります。そのような光秀を大丹波地域のスポットからのぞいてみてはいかがでしょうか。
光秀が難航しつつも成し遂げた丹波平定。
このページでは、京都府と兵庫県にまたがる大丹波地域にある「光秀ゆかりスポット」をご紹介。そのスポットがどこにあるか地図で表していますので、光秀の足跡を辿ってみてください。
写真上:御霊神社(福知山市)
宇賀御霊大神を祀る祠に、光秀公の御霊を合祀している神社。光秀の功績をたたえ御霊会が開催され、現在では毎年10月頃に御霊祭りが開催されています。
写真下:鬼の架橋(丹波市)
光秀が丹波攻めの際、八上城主・波多野氏と黒井城主・赤井氏を分断するために築いた金山城跡。その頂上付近に、空を見透かすように横たわる巨岩。
>>ラジオで辿る光秀ゆかりの兵庫丹波へ(外部サイト)

天正7年(1579)頃、光秀が丹波の拠点として築いた「福知山城」。明治時代初めの廃城令により石垣と銅門番所以外は壊されたが、市民の瓦一枚運動などの熱意によって3層4階の天守閣が再現された。
>>福知山市HP
>>福知山光秀ミュージアム

光秀の丹波平定の際、山家城(甲ヶ峯城)城主・和久氏は光秀に降伏したものの、城の破却命令に応じず追討されたとされている。現在は公園に整備され、桜や紅葉など四季折々の自然が楽しめる。
>>綾部市観光協会HP

丹波攻めの際に光秀を退却させ、「丹波の赤鬼」として名を挙げた赤井(荻野)直正の居城。丹波平定後は、光秀の重臣である斎藤利三が城主となった。丹波三大山城の一つ。(黒井城・八上城・八木城)
>>丹波市観光協会HP



丹波守護代内藤氏の居城。丹波三大山城の一つといわれており、1579年光秀の丹波侵攻により落城した。現在は石垣の一部や曲輪跡が残っている。最後の城主はキリシタン武将内藤ジョアンといわれている。
>>南丹市HP
>>八木町観光協会HP

1577年に光秀によって築城。明治維新のあと廃城令により解体されたが、現在の所有者である宗教法人大本の手により石垣などが修復され、往時を偲ぶことが出来る。見学の際は、大本本部の総合受付まで。
>>宗教法人大本HP
>>亀岡市観光協会HP