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日本最古の天満宮

生身天満宮  禰宜
武部 由貴子さん    たけべ ゆきこさん

結婚を機に神職の道へ。禰宜(ねぎ)と呼ばれる宮職を務めながら、神社神道を身近に感じてもらえるように新しい取り組みに力を注いでいる。
*生身天満宮 Web http://www.ikimi.jp/

日本最古の天満宮と伺いしましたが 由緒を教えてください。

「天神さん」として親しまれている天満宮は全国に約1万2千社もあり、菅原道真公をお祀りしていることは皆さんもご存知だと思います。その天満宮の中で、菅原道真公が生きておられる時からお祀りしているのは、この生身天満宮だけなんですよ。
これが“生身(いきみ)”と称され、日本最古の天満宮と呼ばれる由縁です。 始まりはもう千年以上も前のこと。延喜元年(901年)に菅原道真公が太宰府に流された時、園部の役人であった当宮始祖・武部源蔵は道真公の八男・慶能君 をかくまい育てるように頼まれました。引き受けた源蔵は、自らが彫った道真公の木像を生祠(いきほこら)としてお祀りし、慶能君と共に無事のご帰洛を日夜お祈りしました。
その2年後、道真公はお亡くなりになられますが、源蔵はこの生祠を霊廟として途絶えることなく礼拝しました。天暦9年(956年)、慶能君らが図り、霊廟を神社と改め、千年の時を越えて現在に至ります。現在の宮司である主人は38代目、代々武部家が生身天満宮にお仕えしています。

本社の他に境内には15社もの神様をお祀りされているんですね。

武部源蔵社は当宮の始祖・源蔵をお祀りしています。源蔵は、日本三大歌舞伎『菅原伝授手習鑑』の登場人物としても知られ、この物語は、当宮の由緒を戯曲化したものといわれています。そのご縁もあり、市川亀治郎(現・猿之助)さんと宮司が対談させていただきました。
また、厳島神社は当宮が鎮座する前から地主神として祀られていました。大変美しい女性の神様で「弁天さん」と呼ばれ親しまれています。地元では、女の子がお参りすると美人になると伝わります。

禰宜(ねぎ)としてお仕えするようになったきっかけは何ですか?

元々会社勤めの主人が、いずれ神社を継ぐ為に会社を辞め、神職として修業をしていました。その時に結婚、二人で当宮に来たことが始まりです。当初は神社のことなど全く分からず、別世界に来たという感じでした。
参拝へ来られた方に質問されても答えることができず、これでは駄目だと思いました。小さい頃から負けず嫌いな性格だったこともあり、神職の資格を取ること を決意、京都市内へ階位検定の講習に通って取得しました。今では「禰宜」としてお仕えしています。講習は朝から1日中あり、神社実習も受け、今思えばよく通ったなと感じます。

若い方にも神社に親しみを持ってもらおうと、新しいことにもチャレンジされていますね。?

神社という場所は本来、コミュニティの場でした。誰もが気軽に集える安らぎの場だったと思うのです。若い人たちにも、もっと神社に親しみを持ってもらえるように、なるべく敷居を低くして、身近で分かりやすい情報を発信しようと心がけています。
神社の瓦版である「社報」も、一般の方が興味を持ちやすいように、神社に関する身近な話題や素朴な疑問を載せて、楽しんでもらいたいと工夫しています。お陰さまで全国の社報コンテストで銀賞を頂き、毎月発刊して今では150号を越えました。
Webサイト、簡易由緒、境内図、オリジナルのお守りや台紙なども、コンセプトからコピー、デザインまで、友人のデザイナーさんとやり取りしながら作っています。もちろんwebサイトでは、最新の情報を発信、サイトをおひとりでも多くご覧頂けるようFacebook公式ページも日々更新中です。最近では、遠くから参拝さ れる方も多くなってきました。

とことんこだわる性格なんですね?

先にも申し上げたように、やるなら徹底的にやるという 性分。せっかくお参りに来られる方の為に、お守りも当宮にしかないオリジナルにこだわりたいと思いました。京都市内の実家の織物業を手伝っていたこともあり、建築設計事務所にも勤めていました。元来、ものづくりが好きなんですね。例えば「とんぼ玉 合格お守り」は、手作りのとんぼ玉にちりめん製の紐を付けた、色柄が全て違う世界に一つだけのお守りです。しごとのお守り「天晴れる」は、「天まで晴れわたる」爽快な人生を送れますようにと、願いを込めました。参拝者の方の目にとまりやすいように、お守りのディスプレイにもこだわっているんですよ。
もちろん伝統を守り継ぐことはとても大切なことですが、神社も時代に合わせて新しいことを取り入れていかないと駄目だと思うのです。このような新しいチャレンジは、別世界から来たからこそできるのだと思っています。

今後の目標は何ですか?

少子高齢化が進む地域の中で、自分のまちを好きになるきっかけ作りをもっともっとしていきたいですね。私も子どもがいますが、子どもたちが「ここにいたい、ここに帰ってきたい」と思えるまちでありたいと願っています。そのためには地域の人をはじめ、いろいろな人とつながっていくことが大切と考えます。私自身も、人と繋がることが大好きだからかもしれません。
当宮には年間様々な神事があるので、ご縁を頂いた方々におお声掛けし、節分祭・弁天祭などでの出店、春や秋祭りなどでの篠笛・二胡・二弦琴・ファイヤーパフォーマンスなどの奉納を頂いています。平成26年の夏越の大祓では、さらにその繋がりを広げたいと願い、初めての「地の和・人の輪市」を開催しました。お子様連れの方々もたくさんお詣り下さいました。こうしたことをきっかけにして、南丹市や大丹波のよさをPRできたらと思います。まちが元気になるお手伝いをしていきたいですね。

取材中に訪れた参拝客にも、周辺の観光地を案内するなど丁寧な対応されていた武部さん。観光パンフレットも各種取り揃えているそう。お昼が食べられる場所を聞かれることが多く、食のマップを作りたいと話してくれた。ぜひ武部さんのお話を聞きに天満宮へ足を延ばしてはいかがでしょうか。

(取材:平成27年1月)

※掲載している記事の内容及びプロフィールは取材当時のものです。

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